「ナポレオンのお高い約束」
1797年のある日、ナポレオン将軍は新妻とともにルクセンブルクの国立小学校を参観しました。
学校側は今回の訪問を非常に重視し、ナポレオンを熱烈に歓迎しました。とても満足したナポレオンは、3ルイを払ってバラの花束を買い、スピーチを発表する時に校長に贈りました。ナポレオンは「ご厚情にお礼として、今日は特別にバラの花束を贈呈します。フランスが存在する限り、毎年のこの日に、フランスとルクセンブルクの両国の深い友情の証として、私はバラの花束を贈り続けましょう」と約束し、盛大な拍手を受けました。
しかしその後、ナポレオンは戦争のことで忙しく、その約束を忘れてしまいました。周囲の人もそれを口にしませんでした。ところが、ルクセンブルクの人々は大英雄ナポレオンの「バラの約束」を忘れていませんでした。
1984年、ルクセンブルクの人々は、ナポレオンの約束を果たしてもらおうと、フランス政府に交渉をしました。
約200年分のバラを、どうやって一度に贈りきることができるのでしょう?フランス政府はとても困っていました。
ここで、ルクセンブルクの人々はフランス政府にさらなる要求をしました。バラの花束は一束3ルイ。これを元金として、1798年から年5%の金利で複利計算によって全て返済してもらいます。そうでなければ、フランスの各大手新聞に「ナポレオンは約束を守らない人だ」と、公に公表してもらわなければなりません。
フランス政府は再三に考慮した結果、ナポレオンの約束を果たすことにしました。
しかし、ルクセンブルクの計算結果は世界をも驚かせました。ナポレオンの当初の約束は、現在まで元利を含め、すでに100万フランの価値に達していました。
一本の小さなバラの花が、長い年月を経るとこんなに高価になると、フランス人は思ってもみなかったのです。
――軽々しく約束をしてはいけません。どんな小さな約束でも果たすべきです。何気ない発言が、後々、重い代価を払うようになってしまうかもしれません。
「レーガンの靴」
アメリカのロナルド・レーガン元大統領は、子供の頃、靴屋に靴を注文しに行ったことがありました。靴職人は幼いレーガンに、「スクエア靴とラウンド靴、どっちにしたい?」と尋ねました。どの靴が自分に似合うのかわからないレーガンは、すぐには答えられませんでした。そこで靴職人は、家に帰ってよく考えてから教えてくれとレーガンに言いました。
数日後、この靴職人は街でレーガンに会って、もう一度、靴のことを聞きました。まだまだ迷っているレーガンに、靴職人は「オッケー。どうするのか分かったよ。二日後に、新しい靴を取りに来てください」と言いました。
二日後、レーガンは靴を取りにお店に行きました。なんと、靴職人が作ってくれた靴は、片方がスクエアで、もう片方がラウンドでした。「なぜこんなことになった?」彼は不思議に思いました。
靴職人は、「何日待っても、君はなかなか決めてくれないから、靴を作っている私が決めてあげるしかないんだよ。これは君に一つの教訓を与えるものだ。何事も他人に決めてもらってはならないということだね」と答えました。
このことを思い出すたび、レーガンはいつも「迷いに深くはまると、自分を見失うので、他人に決定権を与える受け身になってしまうことだと、僕は学びました。他人に物事を決められたら、自分で切り開くことが出来なかった受け身としての悔いは付き物で、そんな自分に苦しむのです」と言っていました。
――自分のことは、自分で決めます。
「ルーズベルトの恥」
アメリカのルーズベルト元大統領は、中年の時にポリオにかかりました。この時の彼はすでに上院議員になっていて、政界で非常に強くなっていました。しかし、この突然のショックを受けた彼はとても意気消沈して、政界から引退しようとしました。
ポリオにかかった当初、ルーズベルトは全く動くことができず、車椅子に乗らなければなりません。しかし彼は、ずっと誰かに頼って階段を上り下りすることが嫌でした。そのため、彼は夜に一人でこっそりと、歩くための練習に励んでいました。
ある日、ルーズベルトは、自分が考えた階段を登る方法をみんなに見せたいと家族に言ました。
すると彼は、腕の力で体を起こし、階段の上に移動させ、それから足を引きずるようにして、階段を一段ずつゆっくりと登っていました。
これを見た母親は「こんなふうに地面を這いつくばる姿を他人に見られたら、みっともないじゃないですか!」と彼を止めようとしました。
しかしルーズベルトは、「自分の恥と向き合わなければなりません!」ときっぱりと言いました。
――己の短所や恥をさらけ出し、そこに立ち向かう行為は勇気であり、尊敬に値するのです。
(翻訳・清瑩)