米国飛天大学人文学部準教授 章天亮 博士(イメージ・YouTubeスクリーンショット)
歴史上の予言はそれほどの真実性がある?
古い予言は中国のみならず外国にも多くありましたまずは「推背図」を例にして説明しましょう。
「推背図」は唐の太宗皇帝に仕えた司天監・李淳風によって書かれた予言書ですが、唐の時代にはすでに全国で広く読まれていました。
しかし古代において予言が世間一般に広まることには問題がありました。例えば、予言書の記述に基づいて次の皇帝を予想しようとするものが出てきたり、自分と共通点があるから自ら皇帝を名乗って謀反を画策するものがでたりするかもしれません。そのため、宋の太宗・趙匡胤は皇帝になったあと、もとの予言に嘘の予言を加えて区別がつかないようにし、さらに予言の順番をかき乱してしまったのです。
こうして「李淳風の予言はあまりあてにならないぞ」という印象を(国民に)与えようとしたのですが、時はすでに遅かった。彼の予言は中国のいたるところに知れ渡ってしまいました。
さて、現在最も広く知られている「推背図」は、明王朝の金聖嘆という人が注釈を付け加えた版です。実際のところ、「推背図」の予言はかなり高い精度で当たりました。
実は、中国の「推背図」や「馬前課」、「焼餅歌」、韓国の「格庵遺録」あるいは西洋の予言が異口同音に言っているのは今日の世界は特別な時期に差し掛かっていると予言していることです。この時期になると悪魔や邪悪な組織が現れて人類の道徳水準を堕落させ、神に救ってもらえないほどに堕落させると予言しているのです。
なぜ中華文明は「大洪水」から生き残れたのか(破壊されなかったのか)
「大洪水」によって他の文明が破壊されたにもかかわらず中華文明だけが破壊を免れたとおっしゃいましたが、それはなぜでしょうか?
あくまでも個人的な見解ですが、神は人間を救済する際、人は神がなんであるかを知っていなければなりません。宗教に対する理解の中で、仏とは何か、道(タオ)とは何か、修練とは何かといったことを理解しておく必要があります。
さらに、歴史上の出来事を通して、自分の信仰が迫害された時にどのような行動をとるべきかをも知っておかなければなりません。これらのことは今日まで伝わるよう案配されたものでしょう。
中国文化の中で、仏教・道教にまつわるもので「白日飛昇」という現象があります。「白日飛昇」とは、修煉して円満成就した人が空高く飛んで行くことを指します。チベット仏教ではこれを「高僧が虹化する」と表現します。 ラマ僧が円満する時には、バンという音に伴って身体全体が溶けて何も残らず一筋の光と化してしまいます。
1950年代のことですが、中国共産党の将軍・張国華氏(1914-1972)はチベットのある高僧と密接な関係を持っていました。ある日、チベットの高僧は張氏に手紙を送りました。遠くへ旅経つから、張氏に見送ってほしいというのです。
さっそく彼はチベットの高僧の元へ行きました。約束した場所に着くと、厳かな雰囲気の中、多くのラマ僧がその高僧を囲むようにして座っていました。
みなが頭を下げて念仏しているので、高僧が遠くへ行くようには見えません。彼はおかしいと思いましたが、黙ってその場に座ることにしました。すると、彼が座ったとたん、巨大な音が聞こえたかと思うと、高僧の体は溶けてなくなってしまったのです。
その音と光に彼は大いに驚きました。まさか人間の身体が溶けるとは。張氏は中国共産党の無神論的教育を受けてきたので、まさかチベット仏教の高僧の円満成就このような神秘的現象だったとは思いもよらなかったのです。
このような不思議とも思える出来事は歴史上多々あります。それらの出来事は、修練とは何か、仁とは何か、義とは何か、忠とは何か、信仰に対する迫害が起こった時に人々は何をすべきなのかを人にわからせるためにあるのです。
かつて中国では「三武一宗の法難」という仏教徒に対する迫害がありました。当時の人々の対処の仕方が、後世の手本となって歴史に刻まれるのです。
これらはすべて、最後の時に神を認識することができるようにするためです。そのためには神は一つの民族を選びますが、幸運にも神は中華民族を選ばれました。
中国の言語体系も西洋のものと大きく異なります。言葉の音だけを記した西洋の表音文字と異なり、中国の漢字には意味と読み方を併せ持つ特徴があります。そのため漢字は読み方が変わっても一つひとつの文字が表す意味は変わらず、歴史の流れの中で読み方がどのように変化しようと文字を見れば意味は通じるのです。
漢字の特徴はどのような現象をもたらしたのでしょうか。それは現代の中国人にも古代の書物が読めることです。漢字の形は比較的安定していますので、どんなに読み方が変わろうとも、形が大きく変わることはありません。したがって人々は依然として書物を理解することができ、文化は伝承され続けます。
私は一つの例として漢字を挙げましたが、神は中国文化を長く保存するために多くの細かい案配をしました。みなさん、ぜひ「共産主義の最終目的」*という本を読んでみてください。その第一章では中国の文化が有する特徴を紹介しています。中国のすべての王朝は異なった文学形式を持っており、例えば詩経、楚辞、両漢時期は賦であって、魏晋、南北朝の時は駢儷体であって、唐朝は詩、宋朝は詞、元朝は曲、明清では小説などです。それぞれの王朝が異なった文学形式や哲学思想を築き上げました。
先秦時代の子学(諸子百家の学問)、前漢後漢の経学(儒教経典の解釈学)、魏晋の衒学(道教に通ずる学問、清談など)、隋唐の仏学、宋明の理学、清代の朴学(訓詁学や考証学など)といったように、それぞれの王朝で異なる思想学問が発展し、人々の思想を豊かにしました。それらの学問により、人間は神が何であるかについて真の理解ができるようになったのです。
ここまで見てきたように、中国の文化は神に選ばれし幸運な文化だと私は思います。中国人はいつも、「中国は神の国だ」とか「中国人は神の子民で、中国文化は神伝文化だ」などと言います。自画自賛のようにも聞こえるかもしれませんが、これらはただのスローガンではなく、裏に深い意味が隠されているわけです。
*「共産主義の最終目的」:「共産主義の最終目的」は「共産党に関する九つの評論」編集部が発表した最新の評論である。共産主義の最終的な目的は人類を破壊することであり、民主社会はいまだこれに気付いていないと警鐘を鳴らした。文化面と道徳面における共産主義による浸透と破壊を暴露するとともに、人類の文化の大切さ、伝統を重んじることの大切さを説いている。(ウィキペディア)
(文・章天亮 / 翻訳・時葦瑩)