指南車は差動装置を使用した機械であり、行軍や長距離移動の時に方角を知るために使われた。指南車の上に載せられた木製の人形はずっと南を指すことができた。(Andy Dingley / Wikimedia Commons CC BY 3.0)
中国古代には数多くの巧みな職人がおり、その人たちの構想は現在の角度に立っても非常に斬新であったと言っても過言ではありません。春秋戦国時代の魯班は動く木造の鳥を作ったとされ、その木造の鳥には人が座ることができるだけではなく、飛ぶこともできると言われています。まさに今日の飛行機と同じようです。漢王朝時代、張衡は地動儀を作り、地震が発生した方角を素早く知ることができました。地動儀には八つの方角に対応する龍の頭がついており、地震が起こるとその方角を向いている龍の口の中から銅の玉が落ちるという仕組みです。さらに北斉の蘭陵王であった高長恭は踊る胡人の人形を作りました。この人形は酒の盃を持ち、お酒を飲みたい人に礼をすることができたそうです。現在でもこの人形の仕組みは分かっていません。
このような斬新な構想は中国の各王朝で見られ、中国の歴史に鮮やかな一筆を残しました。しかし残念ながら、現在の科学技術ではこの工芸品たちを復元するに至らず、私たちは残存する史料を通して古人の技術力に感嘆するしかありません。今回ご紹介するのは唐の職人・馬待封氏で、彼の作品を通して、唐王朝の優れた技術を見てみましょう。
精巧な化粧台
唐の玄宗皇帝が即位した年、天子の鳳輦(ほうれん、屋根に鳳凰の飾りのある天子の車)を修理するために、腕の立つ馬氏を宮殿に呼び寄せました。
唐の宮殿の中には、指南車(方位を指し示す車両)、記里鼓車(走行距離を測る装置)、風見鶏など多彩な工芸品がありました。これらは馬氏の手を経て、さらに精巧になりました。
宮殿の中では、化粧台は皇后や妃たちにとってなければならないものでした。馬氏が皇后のために作られた化粧台は、今日においてもこの上なく素晴らしい設計でした。
この化粧台の真ん中には鏡立てがあり、その下は二段に分けられ、それぞれドアが付かれています。皇后は化粧するときに、鏡が入っている上の段のドアを開けるだけで、下の段のドアも自動的に開くようになっていました。このドアから櫛を持っている人形が出てきて、皇后が櫛を手に取るとまたドアの中に戻っていきます。
ほかの化粧品もそうであり、ファンデーション、フェイスパウダー、アイブロウペンシルなどはすべてこのような人形が自動的に皇后の手元に届けます。届けたらまた中に戻りドアも閉まります。皇后が化粧し終わったときには、すべてのドアも元通り閉まるようになっていたのです。
(つづく)
(文・洪熙 / 翻訳・謝如初)