西遊記(北京・頤和園の回廊絵画)(shizhao, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 『西遊記』において、鎮元大仙は有名な神仙の一柱です。中でも印象的なのは、古くからの恨みを手放し、悪縁を良縁に変えた鎮元大仙の話でしょう。孫悟空に人参果の木を倒されたにもかかわらず、鎮元大仙はこの悪縁を良縁に変え、孫悟空と義兄弟の契りを結んだのです。

 鎮元大仙と人参果の木

 三蔵一行が西への旅の途中に、万寿山と呼ばれる山に到着しました。その万寿山の中には五荘観という仙荘があり、この仙荘の主は鎮元大仙です。

 鎮元大仙、またの名を「与世同君」とは、「地仙之祖(大地にいるすべての神仙の祖)」と呼ばれる名高い神仙です。天宮に行き、自身の道法を演説できるほど地位の高い神仙ですが、なぜか孫悟空はその名を知らないようです。

 鎮元大仙がとにかく大事にしているものが、五荘観に育てている人参果の木です。それは、世界中でこの五荘観にだけ育った不老長寿の霊樹です。三千年に一度、花を開き、三千年に一度、実を結び、更に三千年たってようやく熟します。つまり人参果は、約一万年に三十個しか出来ないというとんでもなく珍しい果実ですから、鎮元大仙は人参果の木を何より大切にするのも至極当然な事なのです。

鎮元大仙(パブリック・ドメイン)

 一面識をも大事にする

 道家の修行者である鎮元大仙は、「縁」を非常に大事にします。唐三蔵とは一度会っただけの間柄ですが、まるで旧友のように振舞い、大切な人参果を2個も贈呈したほどです。『西遊記』の第二十四回に、このような話があります。

 鎮元大仙は召使いに「もうすぐ、旧友がこの地を通る。昔からのご縁だから、くれぐれも怠慢することなく、人参果を2つ摘んで、その方に差し上げるように」と言いました。

 「その旧友とはどなた様でしょうか?おもてなしを致しますので、ぜひご教授ください」と召使いに聞かれた鎮元大仙は、「はるばる東の土地・大唐よりいらっしゃる、西天取経の旅をする高僧、三蔵法師だ」と答えました。

 召使いは「我々道家の太乙玄門のものが、いかにして仏僧と知り合えるでしょうか」と笑いました。

 鎮元大仙は「あなたたちは知らないだろうが、あの高僧は金蝉子の生まれ変わりで、釈迦仏様の2番弟子だった方だ。500年前、わしは蘭盆会で金蝉子にお茶を渡されて、知り合いになったのだ」と言いました。召使いはかしこまり、鎮元大仙の言うとおりにしました。

 そして出かける前に、鎮元大仙は「人参果はとても貴重で数少ないものだから、高僧には2個しか渡さないように」と召使いに再三に言いつけました。

 孫悟空との義兄弟の契り

 鎮元大仙の名を知らない孫悟空は、人参果の木をものともせず、やがて倒してしまいました。一時激怒した鎮元大仙は、自身の得意技「袖裏乾坤(しゅうりけんこん)」を使い、孫悟空以外の三蔵一行を自分の袖裏に捕らえてしまいました。

 鎮元大仙は、人参果の木を倒してしまった孫悟空とは、「倶に天を戴かず」とも言えるほどの悪縁があると、多くの人は思うかもしれません。しかし、鎮元大仙は大きい度量をもって、人参果の木を治してもらうことができた上に、一人の義兄弟もできました。その様子は『西遊記』の第二十六回で書かれています。

 孫悟空は「なんとケチな神仙なんだ!人参果の木を生き返らせるだけならとても簡単だよ。そうと分かれば喧嘩も避けられるし、話が早いじゃないか」と鎮元大仙に言いました。

 鎮元大仙は「喧嘩をしないと、わしはやすやすと君を許す気はしないね」と孫悟空に答えました。

 孫悟空は「分かった。じゃあ、あんたは俺の師父と弟弟子たちを放し、俺はあんたの木を生き返らせる。これでどうだ?」と鎮元大仙に尋ねました。

 鎮元大仙は「本当に木を生き返らせることができれば、わしは君と義兄弟の契りでも結ぶとしよう」と孫悟空に答えました。

 孫悟空は「構わん!あんたは人を放して、俺は必ずあんたの木を生き返らせてやるぜ」と言いました。

 その後、孫悟空は観音菩薩たちを招き、人参果の木を生き返らせてもらいました。鎮元大仙は大いに喜び、人参果を菩薩様と皆にご馳走を振る舞いました。菩薩様たちを送り出した後、鎮元大仙は改めてご馳走を用意し、孫悟空と義兄弟の契りを結びました。これこそ雨降って地固まる。喧嘩をしなければ友達にはなれません。三蔵法師たちもとても喜んだのでした。

 一期一会 どんなご縁も大切にすべき

 中国には、「百年修得同船渡、千年修得共枕眠」ということわざがあります。その意味は、二人が前世百年付き合うと、その因縁でこの世で同じ船に乗り合わせ、すれ違いができる。二人が前世千年付き合うと、その因縁でこの世で夫婦になることができるという、ご縁のありがたさを表しています。様々な悪縁があるとしても、恨みの心を捨て、悪縁を良縁に変えることができれば、普通の人は聖人になることができ、修行者は次元の向上ができるのです。

 人として生まれた私たちは、ご縁を大切にすべきなのです。人生において、触れ合えた風景、出会えた人、そして巡り会えたご縁は、やすやすと手放してはいけません。そんな中、一番大事なご縁とは、無神論を捨て、神様を敬い、その思召しを信じ、神様が導いてくださった道に沿って向上することです。遥か昔から待っていたこの大事なご縁を、自分の未来のためにも、大切にしていきましょう。

(翻訳編集・常夏)