(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 中国共産党(以下、中共)最高研究機関、中国科学院のメンバー(院士)であり、「中国肝胆手術の父」として知られる呉孟超が、22日に上海で99歳で亡くなった。彼一人でかつてドナーを明確にされていない肝臓移植手術を1.4万件以上行ったという。

 公開された情報によると、呉孟超は福建省閩清県出身で、マレーシア華僑。第二軍医大学(現海軍軍医大学)の副校長を務め、同校の第三付属病院の東方肝胆膵外科病院と東方肝胆膵外科研究所を創立し、初代院長と所長を務めた。

 中共の公式メディア「人民網」によると、呉孟超は1980年代初頭から肝臓移植の研究を行っており、2011年5月までに、9,300件以上の肝臓がん切除を含む1.4万件以上の肝臓手術を行ってきた。成功率は98.5%に達した。しかし、中国では腫瘍を切除して肝臓がんを治療する割合は1割しかない。当局が恐れて紹介できないのは、呉孟超が行っていた末期肝臓がんの治療で最も一般的な手法は、がんの肝臓を切除する代わりに肝臓移植を行うことであり、彼一人で1.4万件以上の手術を行ってきたということである。ところが、適合する肝臓をどこから手に入れたのかが疑問になる。

 呉孟超は江沢民元総書記とは特別な関係にあった。中国語メディア「新紀元週刊」によると、2011年に江沢民が一度瀕死の時、彼の臓器移植手術を執刀したのは、呉孟超であった。

 2014年1月15日、中共軍のベテラン医師である許平(仮名)はウェイボー(微博、Weibo)で、江沢民政権の時期に、医療業界代表の会議に出席したたび、上海の呉孟超が来たかと必ず尋ねていたと明かした。尋ねる回数が増えるにつれ、呉孟超が自然と「医療関係者のナンバーワン」になっていった。

 「外交部がこのほど、我々の臓器の供給源はほぼ死刑囚であることを認めた。しかし、死刑囚の数はどんどん少なくなっており、特に90年代は死刑囚が年間に数人しか出ていない。さらに、国際からのプレッシャーも大きくて、国のイメージにも不利などがあった。(中略)いずれにせよ、政法委員会は我が国の医学発展のためであるかどうか、とにかく法輪功学習者からの生体臓器狩りを大量に行ってきた。一部の法輪功学習者は、体の傷口を国際社会に見せた。とにかく私たちは非常に困惑している」と許平がウェイボーで書いた。

 法輪功迫害追跡国際調査国際組織(WOIPFG)が2012年5月29日に発表した調査報告書によると、法輪功に対する13年間の迫害の中で、中共軍の病院で臓器移植の数はかつて異常に多く、ドナーの供給も異常に充実していた。軍医大学の付属病院でも大量の臓器移植が行われていた。呉孟超は、生体臓器狩りを大量に行ったことを疑われている。呉孟超が執刀した肝臓移植の総数は、2010年までに累計4,000例を超えた。

(翻訳・徳永木里子)