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日常生活の中での出来事は、たとえそれがそれほど小さいものであったとしても、人生に大きな影響を及ぼす可能性がある。
例えば、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロのあった日、たくさんの人が幸運にも生き延びることができた。その原因は様々で、本人にとって面倒なことであることも多い。
ある会社の社長は、普段通り会社へ直行せず、先に自分の子供を幼稚園に送ったため災難を逃れた。ある人は同僚のためにドーナツを買う当番だったため事件現場にいなかった。ある女性は目覚まし時計が鳴らず遅刻した。ある人はバスに間に合わなかった。もう一人の女性は食事中に服を汚し、急きょ帰宅した。車のエンジンがかからなかった人も数人いた。タクシーを全然捕まえられなかった人もいた・・・
最も印象深かったのは一人の女性だった。彼女は新しいヒールを履いて会社へ急いだため、着く前に水膨れができてしまい、ドラックストアに絆創膏を買って行ったため生き延びた。
もしこのような面倒なことに遭わなかったら、彼らの人生は全く異なったものになっただろう。
交通渋滞に巻き込まれたときやエレベーターに間に合わなかったとき、爪先をぶつけたとき、はたまた急な電話がかかってきたとき、私はそれにはきっと理由があるのだろうと思うようになった。これらの面倒は偶然ではなく、神様の段取りかもしれない。
もし朝体調がよくない、子供が服を着るのが遅い、車のキーが見つからない、連続して赤信号にぶつかるといった出来事に出会ったら、焦らずに落ちついてみよう。これは神様があなたを守るためのものかもしれない。
神様の段取りにはきっと理由がある。神様には私たちの想像をはるかに超える大きな計画がある。偶然の出来事など一つもない。一つの出来事を良いことと受け取るのか、それとも悪いことと受け止めるのか。それは私たちの見方によって変わってくる。でも答えは、明日になったらきっと分かるはず。
(翻訳・宛漣音)