清・張宗蒼による「避暑山荘」(國立故宮博物院・台北、パブリック・ドメイン)

素朴で上品な御園

 避暑山荘のレイアウトは,宮殿区と苑景区の二つに分かれている。宮殿区は山荘の南側にあり、平坦な地形で宮殿が林立している。主宮殿、松鶴齋(しょうかくさい)、萬壑松風(まんかくしょうふう)、そして破壊されたままの東宮を含む四組の建築がある。

清・冷枚による「避暑山荘」(パブリック・ドメイン)

 主宮殿は宮殿区の西側にあり、主体建築となっている。「前朝後寝(古代の礼制に基づき、朝廷を前にし、寝宮を後ろに配置すること)」の原則に基づいて建築され、九つの庭園がある。淡泊で飾り気の少ない作りは、華やかで立派な紫禁城とは対照的だ。皇帝は日々の公務処理や休憩、重要な儀式を主宮殿で行った。主宮殿の「澹泊敬誠(たんぱくけいせい)」は貴重な四川産・雲南産の楠で作られているため、「楠木殿」とも呼ばれている。

「楠木殿」の「澹泊敬誠」扁額(へんがく)。清の第4代皇帝・康熙帝の作。(頤園新居 / Wikimedia Commons CC BY-SA 2.0

 主宮殿の後ろには「四知書屋(しちしょぼう)」、「煙波至爽(えんはちそう)」、「雲山勝地(うんざんしょうち)」などの一連の宮殿がある。その中の「煙波至爽」は皇帝の寝殿であり、1710年に建築された。康熙帝はこの土地が「地勢が高く開放感に優れ、空気も澄んでいて心地よい」ため、「煙波至爽」と名付けた。「煙波至爽」は避暑山荘36景のうち屈指の名所でもある。一方の「四知書屋」は皇帝が主宮殿に行き来するときに休憩や着替えする場所である。「四知」とは、柔を知る、剛を知る、顕を知る、蔵を知ることだ。また「四知書屋」でも大臣や王侯貴族との謁見が行われていた。

 皇太后が住むのは、「松鶴延年」の意味を有する「松鶴齋」だ。幽寂であり、年代の古い木々が青々と生い茂っている。「萬壑松風」は「松鶴齋」の北側にあり、乾隆帝の幼いころの読書場だった。6つの部屋は互い違いに建てられ、連絡通路によって繋がれている。中国南方の庭園の特徴を備えている。東宮は清王朝の皇帝が祝賀会や宴会を開催する場所であり、主な建物は清音閣、福寿園、勤政殿、巻阿勝境殿などがある。

避暑山荘の地図(1875-1890年)(パブリック・ドメイン)

(つづく)

(文・呂漢文 / 翻訳・清水小桐)