北宋時代に張清という人がいて、司法制度の役人でした。張清は正直で慎重な人でした。何事も必ず自分がやるといった事例が相次いでいました。
彼は自分で多くの細かい仕事を引き受けました。彼はしばしば受刑者のために刑務所の道具をきれいにしました。暑い夏の間、彼は受刑者の衛生に注意を払い、健康を維持するために、より頻繁に掃除をするように注意を促しました。
張清は仏教の経典を読むのが好きで、しばしば熱心に読誦し、死刑囚が死刑を実行する前後には、張清は彼らのために断食をし、死刑囚のために1カ月間経典を読誦するようにしました。
景祐(けいゆう:中国・北宋の仁宗(じんそう)の治世で用いられた元号)4年目、都で疫病が流行していました。張清の妻・袁氏は伝染病で死亡し、3日間埋葬されていませんでした。驚いたことに、3日後、袁氏は突然復活して目を覚ましました。
袁氏は家族に事情を話しました。冥界(めいかい)に連れてこられた後、白衣を着た背の高い痩せた人を見たのですが、その人は厳粛な声で「あなたのご主人はずっと善行を行い、彼は多くの徳を積んできました。彼の子孫には、多くの高官がいるでしょう。あなたはなぜここに来たのですか?」と話しました。その後、白衣の人は袁氏の足を掴んで放り出しました。そして彼女は目を覚ましました。
翌年、袁氏は息子を出産し、亨と名付けられたました。亨の生誕から3日後、ある行脚している道士が張清の家の前を通りかかった時、張清は彼を温かく招き入れました。道士は「あなたには子供がいなかったはずですが、今日、あなたの家の前を通ったとき、赤ん坊の泣き声を聞きました。あなたの子供ですか?」と尋ねました。張清は道士に妻に起こったことを話しました。
道士は「なるほど、まさにその通りです。善行を行う者には、無限の功徳があります。今日、赤ちゃんの声を聞いて、息子さんがいるだけでなく、子孫が次々と出世して高官となっていくでしょう。あなたは今までしてきたことを続けて行ってください。あなたは全てのことがどのように現実になるかを見ることができます」と話しました。
張清は83歳の時、何の病気もせずに亡くなりました。息子の亨は確かに高官なり、6人の息子は全員高官になりました。そのうちの1人は洪と名付けられ、洪の子供の2人は再び高官になりました。当時の学者たちは皆、張清の一族を褒め称えていました。人々は善悪の報いが本当にあることを信じるようになりました。
以上の話は、中国の古書『政務上の善行の報い』から引用したもので、同書は、葉留の編集のもとに編纂された物語集であり、全10巻に分かれており、約112編の物語を収録していました。
(文・魏仁)
(法輪大法明慧ネット日本語版より転載)