斉白石(さいはくせき)は、絵画を「寂寞(せきばく)の道」と考え、一生涯のモットーとしてきたからこそ、成功への道を歩むことができました。「固定概念を突破するのが到底難しく、閉門して十年もかけてから始めて考えが変わる」と謳ったように、斉白石は1920年から1929年までの十年間、誰とも会わず、自身の才能、気質と学識にふさわしい芸術の道の研究にひたすらに没頭していました。「私は何十年も絵を描いてきましたが、自分に納得することがありませんでした。私はこれから大きく変わることに決めます。誰にも邪魔されたくはないから、たとえ私が京で飢え死にしようとしても、皆さんからの憐憫は不要です。私の一番佳境にいる時かもしれませんから」と誓うほど、研究に没頭していました。
斉白石は徳を重んじ、心を修め、古代中国人の品徳を貫いてきました。画家の胡沁園(こしんえん)と学者の王闓運(おうがいうん)を師事し、学問と品徳、中国伝統文化と道徳を研究してきました。1937年、日本軍第14師団長土肥原賢二は飴と鞭を使い、斉白石に取り入ろうとしていました。斉白石は「私、斉璜は中国人で、日本に入る事はない。どうしても私が必要であれば、首だけもらっていけ」と語り、断固として断りました。さらに、自分が庭に植えた花や葡萄の木を悉く壊し、「長寿しても賊であることを恥じ入る。私は餓死しても長安に残るでしょう」と決意の詩を残しました。
「風格は人なり」「人品は画品なり」と言われるように、斉白石は真っ当な人間として生きてきたからこそ、傑出し絵画を創作することができ、中国絵画史に名を遺します。斉白石も、斉白石の作品も、荒々しくない素直、狂おしくない熱量、大げさではない多彩さと滑稽ではない面白さを持ち合わせています。その根本とは、徳を重んじ、心を修め、古代中国人の伝統と品徳を貫くことです。そんな斉白石の道を歩き続けるのは、斉白石の孫娘の斉秉淑(さいへいしゅく)さんです。
1940年生まれの斉秉淑さんは斉白石の四男・斉良遅の娘です。斉白石の芸風を継承し、当の斉白石に「私の画作と瓜二つだ」と称賛されるほど有名な画家です。成人した斉秉淑さんは長い間、身体の状況は芳しくなく、しばしば大出血し、寝たきり状態で、生活がままならなかった時期がありました。そんな中、斉秉淑さんは法輪功を修煉し始めたら、すべての病がいつの間にか無くなって、若返ったように元気になりました。
斉秉淑さんの画作:
https://twitter.com/bannedebook/status/1179545106702929920
1999年7月、中国共産党(以下、中共)は法輪功への迫害を始めてから、斉秉淑さんは多くの法輪功修煉者とともに、法輪功の無実のために声を上げました。しかし、斉秉淑さんは数度、中共の警察に不当逮捕され、北京の精神病院に連行され、いわゆる精神治療を受けさせられました。
資料によると、2002年から2003年までの間、斉秉淑さんは北京新安女子労働教養所に不法に拘留され、強制摂食などの迫害を受けました。身体の状況が酷くなっても、労働教養所の高い壁に絵を描かせられました。斉秉淑さんを不法に拘留した労働教養所の大隊長焦学先は、様々な手段で斉秉淑さんに絵を描かせて、画作を横領していました。長年の迫害は斉秉淑さんをひどく憔悴させました。
十数年前、斉秉淑さんの家族を通して斉秉淑さんと連絡を取ろうとした人がいましたが、「斉秉淑さんの体調はよくありません」と家族の方に言われました。現在、斉秉淑さんの近況を知る人は極めて少ないです。斉秉淑さんのご無事をお祈りします。
(文・戴東尼/翻訳・常夏)