斉白石(さい・はくせき、1864 – 1957)は、中国湖南省長沙府湘潭県(今の湖南省湘潭市)出身で、現代中国画の巨匠です。原名は純芝、字は渭青で、後に璜に改名し、字も瀕生に変更しました。「白石」とは斉白石の数多くの号の一つであり、他には「白石山翁」や「老萍」「餓叟」「借山吟館主者」「寄萍堂上老人」「三百石印富翁」などの号があります。
26歳という年齢で絵画の勉強を始めた斉白石は、花鳥虫魚や山水人物画に長けていました。彼は、鮮やかな洋紅色(マゼンタ色)で花びらを染め、異なる濃さの墨で葉っぱを描き、花びらと葉っぱが鮮明な対比を成す「紅花墨葉」という技法を作り出しました。
斉白石は、濃淡、深浅それぞれの墨と顔料を使って質感を表現することが得意でした。例えば、エビを描く時は、腹部を5節に分けて描きますが、エビの伸び、曲げ、反りと弾くなどの動きをそれぞれ力強く描画します。脚は5本に省略して描きます。頭部は濃淡異なる墨で描き、生き生きとしたエビの頭部を表現し、透明感を出します。斉白石はエビを描くのがとりわけ得意で、その熟練された筆遣いはまさに最高の域に達しています。
斉白石は、中国20世紀において、詩(作詩)・書(書道)・画(絵画)・印(篆刻)すべてに長ける大家(たいか)ですが、彼の詩は、絵画や書道、篆刻ほど有名ではありませんでした。実際のところ、斉白石は自分の詩を一番自慢しており、「私の詩は一番だ。印は二番、画は三番、書は四番だ」とまで語りました。彼の詩作は宋王朝期の作風を伝承しており、ユーモラスな面白さを持ち合わせています。
篆刻において、斉白石は骨身にこたえる猛勉強をしてきました。自身の篆刻の道を振り返る時に、「篆刻を勉強していた私は、それは彫っては磨き、磨いては彫る作業を何度もしていました。部屋はいつも泥まみれでした。きれいな場所を見つけるために、部屋のあちこちに移動していましたが、結局、床全体が池の底のように泥まみれになってしまいました」と斉白石は語りました。彼はこの時期に、一万枚以上の絵画を描き、三千個以上の印鑑を彫刻しました。「一日一枚の絵を描かないと、私は焦ってしまいます。五日一個の印鑑を彫らないと、私は居ても立っても居られません」といつも言っていました。
そんな斉白石は、芸術だけでなく、人間としても、尊敬に値する大家です。一番有名なのは、斉白石が生涯守ってきた「養生七戒」、生きるための7つの戒めです。それは、タバコ、お酒、狂喜、悲憤、空想、怠惰、空虚(時間の無駄)の7つをやめることです。愛煙家だった斉白石は多くの人にやめるよう言われたため、タバコの箱を水の中に投げて、その場で「煙草は水とともに去り行き、詩は腹の中からやって来る」(註)と作詩しました。どんなにうれしい出来事があっても、斉白石は依然として落ち着きます。自分の作品が国際絵画展に入選しても、顔色一つ変えませんでした。そして努力家の斉白石は、常に「勉強しない日は人生の大損だ!」と言っていました。著作の手を弛めない斉白石は、85歳の高齢になっても勤勉に絵を描きました。その年の作品の副題に「昨日は、風と雨が激しかったため、絵を描きませんでした。そのため、今朝はこの絵を描き、昨日の分を補います。一日も無駄にしません」と書いたほどの勤勉さでした。
註:中国語原文:煙從水上去,詩自腹中來。(『戒煙自題聯』)
(文・戴東尼/翻訳・常夏)