(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 ある日の放課後、娘を連れて閲覧室に行きました。閲覧室は静かで、娘は絵を描き、私は本を読んでいました。

 しばらくすると、ノックの音が聞こえ、同僚が文献を調べに来ました。同僚は娘と会うのは初めてで、娘と少し話をしたら、「邪魔してごめんね」と娘に言って仕事に戻りました。娘も笑顔で返事をし、また絵を夢中で描き始めました。閲覧室には再び静寂な時が訪れました。

 その時の閲覧室は家にいる時と違って和やかでした。娘が家で騒いだりするとついつい注意したりするのですが、子どもは夢中になって遊んでいる時に親の言葉が耳に入らないものです。しびれを切らして娘を叱ったことも何回かありました。叱られると娘は静かにするのですが、ふてくされて口もきいてくれませんでした。

 同僚と娘の対話を聞いて、私は反省しました。同じ内容でも、話し方次第で聞き手に真逆の印象を与えることがあると気づきました。お互い邪魔せずにいるだけの話ですが、私はいつも「邪魔しないで」と言っていたのに対し、同僚は「邪魔してごめんね」と言ったのです。私の「邪魔しないで」は娘を不機嫌にしましたが、同僚「邪魔してごめんね」は娘にとって受け入れやすいものでした。

 考えてみれば理由はとても簡単です。私の言葉は命令口調で、不満などが混じっていましたが、同僚の言葉は子どもと同じ立場に立ったもので、そこには尊重する気持ちが感じられました。私の上から目線で子どもと接していたのに対し、同僚は腰が低く、相手が子どもでも邪魔して申し訳ないという気持ちが込められていました。違う視点、違う心持ちで、こんなにも違う結果になるものだと感心させられたひと時でした。

 子どもと話をするとき、たとえ子どものためにと思っていても、上から目線では子どもに受け入れられません。これに対し、同僚のように常に自分を低くすると、摩擦が起こりにくくなり相手にも喜んで受け入れてもらえるのだと思います。

(文・青松 / 翻訳・謝如初)