中国の歴史において、輪廻(りんね・命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わること)の概念は深く人々の心に根付いているだけでなく、完璧な理論が備わっています。人々は輪廻を信じて疑わず、輪廻を以て世界を理解し、輪廻を以て世界を認識し、輪廻の世界観を形成してきました。梁山泊の英雄たちでさえ、首を刎(は)ねられるとき、「頭が落ちても茶碗口くらいの傷痕を残すだけだ。20年後にはまた1人の好漢( 気性のさっぱりした愛すべき男)になれる」と信じています。今生死んでしまったとしても、来世はまた世間に輪廻し、好漢になれるということです。

 しかし、科学理論が中国に入った後、そして中国共産党が中国を統治するようになって以降、宗教や有神論に関わる文化のすべては否定されるようになり、中国人の伝統文化に関する知識はますます少なくなりました。今日、私たちは絶えず輪廻の証拠を探して真偽を証明し、信用できる結論を出さなくてはなりません。ある学説の正確性を証明するには論証をしなければなりませんが、古代の人々が用いた輪廻を証明する方法や理念は、現代のそれとまったく異なります。

北宋の詩人・黄庭堅の輪廻の物語

 黄 庭堅(こう ていけん、1045年~1105年)は、中国北宋時代の詩人です。幼いときから孝子として知られる彼は、よく母の尿瓶を洗い、高官になってからも洗い続けていました。その孝行の美徳が周囲の人々に感動を与えただけでなく、彼は後世の人々によって「二十四孝」(にじゅうしこう・中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人)の1人に選ばれました。彼は自分の輪廻の物語を詩としても書き下ろしました。

 黄庭堅は26歳で科挙に合格し、朝廷に黄州(安徽省・蕪湖市ぶこし)の州知事として任命されました。ある日、彼は昼寝をする中で夢を見ました。夢の中で、彼は役所を出て、ある村落に着き、遠くから白髪だらけのおばあさんが家の門の前に置かれている香炉に向かって、自分には知っているとも知らないとも言える「ある名前」を呼んでいるのを見ました。彼はそこに近づき、テーブルの上に供えられている熱々のセロリをこねた麺を見ました。その香りに惹かれた彼は無意識的にそれを持ち上げて食べてしまい、その後役所に戻りました。突然、ドアが叩かれる音を聞いた彼は目覚め、やっと夢を見たと分かりました。夢の世界が本物そっくりで、口の中にまだセロリの香りが残っていますが、彼はただの夢だと思い気に留めませんでした。

 翌日、黄庭堅は昨日とそっくりの夢を再び見ました。夢の世界の状況や料理の香りはどれも本物のようでした。不思議に思った彼は、役所を出て、夢の中で見た道を実際に行き、一体何が起きたかを確かめようと考えました。そしてある村に着いた時、景色がぼんやりとしていて、まるで彼は故郷に戻ったように感じました。彼はまっすぐある家に向かい、ドアをノックして入りました。そこで目にしたのは正に夢の中で見たおばあさんでした。彼は挨拶をし、おばあさんになぜドアの前で人に麺を食べに来るよう呼んだのかを聞きました。おばあさんはこう答えました。「昨日は娘の忌日でした。彼女は生前、セロリをこねた麺を食べるのが好きだったので、私はドアの前で彼女に帰って来て麺を食べるように呼んだのです。私は毎年こうしています」

 黄庭堅はビックリして、「お嬢さんはいつ亡くなられたのですか?」と聞きました。おばあさんは「26年前です」と答えました。彼は突然思いつきました。今年、自分はちょうど26歳で、昨日が自分の誕生日でした。そこで、彼はお嬢さんの生前のことや家の状況を尋ねました。おばあさんは「彼女は私の一人娘で、生前、本を好んで読み、佛を信じて精進料理しか口にせず、とても親孝行な娘でしたが、どうしても嫁ぎたがりませんでした。そして来生では男性として生まれ、文学者になりたいと願を立てました。26歳の時、娘は病気にかかり、死ぬ直前に私に会いにまた帰って来ると言いました」と答えました。黄庭堅は大いに驚き、「彼女の閨房(けいぼう・寝室)はどこですか? 見てもよろしいでしょうか?」と聞きました。おばあさんはある古い部屋を指差して「この一間です。ご自分で見て下さい」と言いました。

 黄庭堅は部屋に入って四方を見回し、ベッドも、テーブルや椅子も一入(ひとしお)親しみを感じました。壁沿いに鍵がかかっている大きな箱を見て、庭堅はおばあさんに「中身は何ですか?」と尋ねました。「娘が生前読んでいた本です」とおばあさんは涙を拭きながら答えました。「……開けて見ても良いですか?」と庭堅が尋ねると、老人は「鍵は娘が保管していたので、私はずっと開けることができませんでした」と答えました。庭堅がしばらく思料したところ、突然鍵の保管場所が思い浮かんだので、おばあさんに探し出してもらいました。箱を開けて見ると、中にはたくさんの原稿がありました。細く読んでみると、庭堅は愕然(がくぜん・非常にびっくりするさま)となりました。彼が今まで受けてきた試験の回答は全部ここにあって、しかも一文字も違っていませんでした!

 しばらく深く考え込んでから、黄庭堅ははっと悟り、自分が生前女性であったこと、ここが前生の家で、おばあさんが自分の実母だったことが分かりました。そこで庭堅は跪いて叩頭(ひざまずいてこうとう・ひざまずいて両手を地につけ、頭を地につける礼)し、老人の足元で涙を浮かべながら自分が彼女の生まれ変わりだと言いました。世を隔てて母と娘は顔を合わせているので、当然、悲喜こもごもでした。

 役所に帰った後、黄庭堅は迅速に人を行かして母を連れて来させ、生母のように孝行を捧げ、一生孝養を尽くしました。

 この物語を読んだ後、私は感慨深かったのです。古代の人は決して私たちが想像するほど愚かで無知ではありませんでした。万事にわたって確実な証拠が必要です。そこで黄庭堅は記憶に辿(たど)ってあの女子の家を見つけ、前生の母を見つけてやっと自分の経歴に完全な釈明をつけました。今日、超常現象を信じる科学者が輪廻を実証する時も、このような方法を使っています。実地調査を行ない、前世に関する人間の記憶を手がかりとして、前生のことを完全に記憶し述べることができた場合に、初めて完全な輪廻の実例とみなし、輪廻が間違いなく存在するものであるという結論を導き出しています。

佛印和尚と北宋文学者・蘇軾の物語

 古代に、輪廻に関わる前生と後世、因果と結末の大筋を比較的に完全に記述した人がおり、人類の文化に参考事例を残しました。佛印和尚と蘇軾の物語がそのうちの一つです。

 言い伝えによると、片目が失明した五戒和尚という人がいて、彼には明悟という兄弟子がいました。五戒は間違った一念で女子の紅蓮と床を共にし、その事が明悟和尚にばれてしまったため、恥ずかしさのあまり座ったまま死に、転生して行きました。明悟は五戒が生まれ変わった後に佛を罵ることを予言し、そうなれば彼が永遠に命を失ってしまうだろうと恐れ、五戒の後を追い転生しました。世間では、五戒が蘇軾に生まれ変わり、明悟は蘇軾の親友である佛印和尚になりました。蘇軾は始めは佛法を信じず、功名に心酔(しんすい・夢中になってそれにふけること)していましたが、佛印は彼から離れずずっとそばに付き添い、常に善を勧めていました。自らの境遇と佛印の苦心なる教化の下で、蘇軾はついに目覚め、因果の輪廻説を深く信じるようになっただけでなく、佛法を崇信し、修煉に励むようになりました。

(文・霄瞰)