「県役所の建物が学校より立派だったら、県長は即死刑だ!」と言い放ったのは他でもなく、1930年代の大軍閥、有名な大地主劉文彩の実弟、時の国民政府の初代四川省政府主席、初代西康省政府主席・劉文輝(りゅう・ぶんき)氏でした。
劉文輝氏が西康省政府主席を務めていた時、中国映画のパイオニアである孫明経(そん・めいけい)氏は何度か西南地区に訪れ、実地考察で多くの記録写真を残しました。これらの写真は今見てもクオリティの高い作品です。
孫氏は考察中に、学校の校舎が一般的に立派で、学生も清潔感がありましたが、一方で県役所の建物が古くなっていたことに気づきました。孫氏はその原因を現地の県長に尋ねると、「劉主席の命令です。『県役所の建物が学校より立派だったら、県長は即死刑だ!』とおっしゃっていました」という答えを得ました。
この言い方は少し乱暴に聞こえますし、法治の精神からも程遠いようです。しかし、70年前に、地方の軍閥がどれほど教育を重視していたのかが伺えます。
1949年(※1) からずっと隠されてきた孫さんが撮影した写真は、21世紀に入ってからようやく発見され、2006年の連州国際写真展で展示されました。1万枚近くある写真の中で、最も感心させられた作品でした。
「県役所の建物が学校より立派だったら、県長は即死刑だ!」と言い放った大軍閥。1949年以降の中国人は小さい頃から、歴史上における軍閥は皆、横暴非道で庶民を踏みにじる悪者だと、洗脳のように教育されてきました。今から見てどうも改ざんの痕跡があるように思います。
もし劉文輝氏が今でも在任していれば、四川大地震(※2)でどれほど多くの幼い命が助かったことでしょうか?
※1 1949年:1949年10月1日、中国共産党のトップである毛沢東が北京市で建国宣言を行った。
※2 四川大地震(汶川地震):四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で現地時間2008年5月12日に発生した地震のことである。学校校舎の倒壊が四川省だけで6898棟に上り、校舎倒壊による生徒の死亡者数を1万9065人とし、これは9万人以上とされる死者、行方不明者全体の2割を超えている。学校建築における耐震基準の甘さと手抜き工事の横行が指摘された。
(翻訳・常夏)