7.神聖なる使命
那爛陀(ナーランダ)寺は当時の古代インドにおける佛学の研究の中心でした。そこは玄奘の長い苦行の旅の目的地でもありました。那爛陀寺の住職の名は戒賢といい、すでに百歳を超えていて、皆に「正法蔵」と呼ばれていました。
僧侶たちは玄奘に付き添って戒賢に会いに行きました。玄奘は挨拶をするため恭しく戒賢の前に進み、時候の挨拶を交わした後、戒賢は玄奘と高僧たちに座るよう促しました。
戒賢は、「どちらから来られましたか?」と玄奘に尋ねると、
玄奘は「遥か遠い東方の唐の国から参りました。『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』を学ぶために大師さまに会いに来たのでございます。東方の地で佛法を広めたいと思っております」と答えました。
戒賢はその言葉を聞くと涙が止めどなく溢れ、すぐに自分の弟子でもあり甥でもある覚賢を呼んで来させ、戒賢の三年前の病気の経緯を皆の前で玄奘にきいてもらうために自分の代わりとして覚賢に話をさせました。
覚賢は七十歳を超える老僧です。彼によれば、正法蔵(戒賢)はリューマチを患っていて毎回発作が起きるたびに耐えがたい苦しみに見舞われていました。三年前の発作はとりわけ酷く、もう生きていたくないと思わせる程酷かったのです。そのため正法蔵は絶食して命を絶ちたいと思ったのでございます。彼にこの念が出た後、夢の中に突然三人の神様が彼の前に現れました。一人はゴールドの衣、もう一人はエメラルドグリーンの衣、最後の一人はシルバーの衣をまとっていました。彼らは正法蔵に向かって、「経典の中には苦を舐める修行の説法はあるが、自殺に関するものなど存在しません。あなたが今受けている苦しみは、元々前世で自分が造った業によるものです。今は我慢しなければいけません。全力でお経を広めるなら過去の罪業を帳消しにしてあげましょう。そうすれば来世同じ苦しみを味わうことはないでしょう」と言いました。
正法蔵はすぐに彼らに向かってひれ伏しました。この時、ゴールドの神はエメラルドグリーンの神を指差して言いました。「この方は観世音菩薩であられます」つぎにシルバーの神を指して、「こちらは慈氏菩薩でいらっしゃいます」正法蔵は慈氏菩薩に向かって言いました。「私はずっと菩薩様のお側で仕える者に転生したいと願っていますが、それは可能でしょうか?」慈氏菩薩は、「あなたが全力で法を広めさえすれば願いは叶えてあげられます』と言いました。
ゴールドの神は自分は文殊菩薩であると自己紹介し、正法蔵に「あなたが自殺しようとしたのが分かって、急いで止めにきたのです。あなたは人々がまだこのお経を見たことがない場所へ行って『瑜伽師地論』を広めさえすれば、あなたの病の痛みは自然と治るでしょう。あなたは積極的に人に宣伝する必要はありません。まもなく唐朝から一人の高僧がここにやって来てあなたに教えを乞うでしょう。彼は『瑜伽師地論』を持ち帰り大々的に広めるはずです。あなたは絶対に彼を待って教えてあげなければいけません!」と言うと三人の神は消えてしまいました。正法蔵は夢から覚めると、不思議なことにその日以来彼のリューマチは完全に治っていました。
大勢の僧侶たちが覚賢の話を聞いて、皆しきりに感心し、玄奘はさらに悲喜こもごもの気持ちで、「もしそれが本当なら、弟子はすべての力を尽くして『瑜伽師地論』を一生懸命に学ばなければいけない」と言いました。
戒賢は「あなたはここに来るまでどの位の時間がかかりましたか?」と尋ねました。玄奘は指折り数えて、貞観元年の秋に長安をたち、現在貞観三年秋なので、ちょうど満三年になります、と答えました。しかしながら、戒賢がその夢を見たのはちょうど三年前でした。これらの時間と空間の一致は彼らにいっそう双方の縁が実に天の意思によるものであると信じさせました。彼らは、今のこの出逢いはずっと昔から按排されたものであり、彼らは皆神聖な使命を持っているのだと気づいたのでした。
8.菩薩の夢のお告げ
玄奘が杖林山で戒賢と同レベルの勝軍論師に付いて二年間学んでいた時のことです。
ある晩玄奘は奇妙な夢を見ました。夢の中で那爛陀寺は辺り一面荒れ果てており、何頭もの水牛が繋がれているにもかかわらず、僧侶たちの姿はどこにも見当たりません。彼の目の前にゴールドの神が四十の塔の上に立っているのが見えただけでした。彼は上に上りたいと思いましたが、神様が立ちはだかっていました。ゴールドの神は「私は文殊菩薩です。あなたは前世の罪業がまだ残っているので上ることができません」と言うと、外を指差して「外を見なさい!」と言いました。玄奘が彼の指差す方向を見てみると、寺の外は空が真っ赤になっており、村落がすべて火に包まれていました。玄奘はどういうことなのか聞こうとしていると、菩薩は「あなたは直ちに自分の国に戻りなさい。今から十年後、戒日王が崩御し、インドで大動乱が起こることになります。しっかり覚えておくのです」と言いました。
玄奘は夢から覚めると夢の中の情景と文殊菩薩が話したことを勝軍に告げました。勝軍は「人の世は本来無常なものです。夢の中の菩薩がおっしゃったことが現実となる可能性はありえます。菩薩がこのように指摘されたからには、あなたは適切に事を運ばなければなりません」
十年後、唐の国の特使・王玄策(おう げんさく)がインドに到着した時やはり戒日王(ハルシャ・ヴァルダナ)はすでに崩御していました。その後さらに王玄策は吐蕃(とばん)と泥婆羅(ネパール)から合わせて8千人余りの兵を借りて、戒日王に謀反を働いた家来を生け捕るということが起きました。これは後の話となります。
(おわり)
(文・古風/翻訳・夜香木)
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