赤壁の戦い時詩を詠んでいる曹操(北京・頤和園の回廊絵画)(ウィキペディア/ CC BY-SA 3.0

 三国時代の輝かしい政治スター曹操と言えば、頭に何が浮かぶでしょう?人々は「三国演義」で描かれた悪賢く、奸佞、手段を択ばない梟雄を思い浮かぶでしょう。実は本当の曹操はこのような者ではない。それは作者の羅貫中が劉備・関羽・張飛の義を際立たせるため、曹操の人格を虚構したのである。それでは歴史上の真実の曹操はどんな人なのでしょうか。

類まれなる度胸と見識

 蕫卓が朝廷をコントロールしたとき、大臣を勝手に殺害していたため、他の大臣たちは恐怖に陥った。しかし曹操は一人で董卓を刺し殺すことを試した。成功しなかったけれども、曹操は自分の知恵で蕫卓を騙し、危機を脱した。これはなんと度胸があり、見識のあることなのでしょう。

人を任用するは才能だけを見る 果断毅然

 官渡の戦いにあたって、袁紹の大軍に向かって、曹軍は次々と敗退する。許昌に戻り糧秣を警護つきで運送する使者だって袁紹に捕まえられ、糧秣を警護つきで運送する手紙を奪い取られた。この時、曹操は食糧が絶えるという状況になった。袁紹の謀士許攸が立ち上がり、袁紹のために献策した:「曹軍の主力は官渡にあります。我々は一つの軍隊で許昌を襲撃すれば、必ず許昌を勝ち取る。その時、曹操を捕まえようと思います。」しかし、袁紹は彼の意見を採用しなかったばかりか、彼を曹操のスパイだと疑った。

 すると、許攸はちょうどその夜曹操に身を寄せた。曹操が聞いたら、靴も履かずに許攸を迎え、許攸の良策を聞いた後、曹操は許攸をスパイと疑わず、機会を逸せず即座に決断を下し、許攸の言葉を聞いた。最終的に袁紹を打ち負かし、北方を統一した。

人材を愛し賢人を探し求める

 曹操は才能がある人を好きになる。自分に身を寄せる人に対して、兄弟みたいに扱うから身を寄せる人が多い。

 典韋は曹操軍中の一番勇気がある将軍である。典韋は曹操を保護するため戦死した。曹操は典韋が死んだことを聞いて、彼のためにひどく泣いた。スパイを募集して彼の死体を取り戻し、自ら現場に行き泣く。その子典満を郎中に任命した。

学問が広く深い 詩で志を言う

 曹操は軍事戦略が優れているだけではなく、詩文でも上手だ。例えば曹操が作成した詩「亀虽寿」と「観滄海」は曹操の遠大な志向と雄心壮志を現れた。曹操の詩は質朴の形式で彼の胸襟を披露する。彼の詩を読めば、この人に会ったみたいと感じる。

 とにかく、曹操は人々に誤解されたように悪賢く、虚偽に満ちた人ではなく、機智、果断、毅然として、策略が人より優れていて、才学を富む人物である。三国時代を通して、軍事にしても、才華にしても曹操は三国期の輝かしい政治スターである。

(翻訳・時葦瑩)