(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 これは清王朝の学者・紀昀(キ・イン、紀暁嵐)が『閲微草堂筆記』に記録した物語です。

 北の村に鄭蘇仙という人がいました。ある日、梦の中で冥界に行き、閻魔王が冥府に捕まったばかりの人を登録しているのを見ました。その時、隣の村の老婦人が冥府の本殿に来ると、閻魔王はすぐに満面の笑顔で、拱手の礼をしながら迎えに行き、よいお茶で老婦人をもてなしました。それから、閻魔王は役人に、すぐさま老婦人を裕福な家庭に転生させるよう命令しました。

 この光景をどうしても理解できない鄭蘇仙は、こっそりと冥府の役人に、「あの老婦人はただの農婦なのに、なぜ閻魔王の尊敬を得られて、良い家庭に転生することができるのでしょうか?一体どのような功徳を積んだでしょうか?」と尋ねました。

 役人は、「この老婦人は一生涯、利己心を持ったがないからです。利己心をもっていると、たとえどんな賢士や大夫であっても、報いを免れることはありません。なぜなら、利己的なるものは必ず他人の利益を損なってしまい、そしてそこからすべての憎しみが生まれ、どこまでも、いつまでも蔓延してしまい、悪名を残してしまいます。これはすべて私利私欲の心がもたらした災難ですよ。この老婦人は一生涯、自分の私心を抑えることが出来たから、どんな偉い学者も彼女の前で頭を下げるのです。閻魔王が彼女をこんなに礼遇するのも、不思議なことではありません!」と語りました。

 これを聞いた鄭蘇仙は、びっくりしながら納得しました。

 しばらくして、官服を着た一人の役人が意気揚々と本殿に入って来ました。「私は生涯、役人として働き、どこに行っても民の一杯の水しか飲まず、神様の前に恥じるようなことをしたことがありません」と豪語しました。

 閻魔王は微笑みながら、「役人とは、国を治め、民を幸せにするために設けられたもので、宿場町の管理員や門番のような下級官吏でも、理と法に従って利害を考慮しなければなりません。しかし、あなたは庶民のお金を欲しないだけで自分を良い役人だと言っています。もしたとえ役所に人形でも立てて置いて、その人形は水すら飲まないから、あなたよりよっぽど良い役人ではありませんか?」とその人に聞きました。

 すると役人は、「私は貢献などないが、罪も犯したことがないですよ!」とまたもや弁解しました。

 閻魔王は、「あなたの一生は至るところで求めていたのは、自分の保身しかなかったじゃないですか?とある事件では、疑いを避けるためにあなたは何もしゃべらなかった。これは民に対する無責任ではありませんか?またある事件では、あなたは面倒なことをしたくないから朝廷に報告しませんでした。これは国に対する無責任ではありませんか?役人は、三年に一度の業績調査があります。貢献がないことは、すなわち罪なのです!」

 これを聞いた役人は驚くあまりに、すごく不安そうに見えて、傲慢な態度もなくなりました。

 閻魔王は顔を和らげ、再び笑顔で、「こうして言ったのも、あなたが先ほどあまりにも威張りすぎたからです。普通に言えば、三四等の良い役人をしてきた人は、生まれ変わっても、冠と帯を失うことはありませんよ」と言い、この役人の転生を手配するように差役に命令しました。

 この二人の話から見れば、人の心の中の些細な考えでさえ、神様は全部お見通しです。たとえ良徳な人でも、利己的な一念を生じれば、責められることを免れません。したがって、日ごろには他人のことを考えて行動し、利己的なことをやらないようにすれば、神様から尊敬されるだけでなく、来世のために福徳を積むことができます。

(翻訳・清瑩)

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