倪瓒(げいさん、1301年―1374年)の肖像(國立故宮博物院・台北、パブリック・ドメイン)
倪瓒(げいさん、1301年―1374年)は元王朝時代の画家である。彼は淡泊と幽静を好み、清雅かつ独特な画風でその名を馳せ、黄公望、王蒙、呉鎮と共に「元末四大家」と称されている。倪瓒は特に山水画と竹石画に長け、水墨山水画の先駆者でもある。彼は「中国古代の十大画家」の一人に数えられ、更にはブリタニカ百科事典にて世界の文化名人として賞賛されている。
諸行無常に感嘆し、淡泊な性格に
倪瓒は画家であるかたわら、詩人、書道家でもあり、茶人でもあった。彼は江蘇省無錫市に居住し、別号を多数持っていたが、世間では一般的に「雲林先生」と呼ばれていた。
裕福な家庭に生まれた彼は、不自由ない生活に恵まれていたが、4歳の頃に父親が他界し、18歳の時に長兄を亡くしたことで、諸行無常に感嘆し、淡泊な性格の持ち主になったという。
寂静清逸で独特な画風
倪雲林が、自身の描き下ろした『龍門茶屋図』という絵に詩を題した。この詩の内容から、彼自身の孤高な性格を垣間見ることができる。
「絵は画家自身の表し」とのことわざのように、倪雲林の絵は彼の気高い品格と相応し、その超然かつ純粋な性格は、孤独な木、遠い山々、疎林の中の小さな亭などを介して表現されている。竹石画においても、作品の大部分は寂寥とした石と竹で構成され、奥深い「寂静の美」を表現している。明末清初の著名な書画家である惲南田(1633年―1690年)は、倪雲林の絵を「真の寂寞」と高評し、「寂寞の極致でありながら、世俗をも帯びる」と語った。
清泉白石茶―珍客へのおもてなし
有名な茶人でもある倪雲林は、筆を走らせる際にも、来客への歓待にも、お茶は欠かせなかったという。彼が生み出した、山に見立てたクルミと松の実などを、恵山泉でいれたお茶の中に添える独自のお茶の飲み方は、「泉の清らさを眺め、山の色白を観賞し、お茶の香りを堪能」と称され、「清泉白石茶」の名がつけられた。
名利に恬淡し、「清泉に添い合い、塵(世)に触れまい」
「逸材」と讃えられた倪雲林は、隠居せず、誰かに仕えようともせずに世間を放浪し、妥協して人の機嫌を取ろうともしなかったという。明代初期、皇帝の朱元璋から上京して官職に就くよう伝令されるも、頑なに赴任を拒否し、『題彦真本』に「清泉に添い合い、塵(世)に触れまい」と記した。これは後世に語り継がれた彼の代表作となり、彼の名利に恬淡な風格もまた中国文人画家の手本となった。
当時より、倪雲林の絵は所持した者が鼻高々にこの上ない誇りと思うほどに、誰もが手に入れようと必死であった宝物でもあった。明代の江南住民の間では、倪雲林の絵を所持した家系こそが由緒正しい家柄と認識されていたとも伝えられている。
(翻訳・梁一心)