(イメージ / Pixabay CC0 1.0)
中国出身の女性留学生・趙思楽さんは、10日、自身のブログに「台湾への感謝状」を書いた。
趙さんは今月6日、米国のジョージタウン大学へ修士課程に進学し、「新しい人生」へ歩みを進める女性である。しかし、彼女の米国留学は「自由な宝島」台湾の力がなければ叶うことがなかった。
趙さんは1990年に広州で生まれたのち、広州市第二中学(高校)を卒業。2009年に南京大学に入学し、交換学生として台湾に渡った。趙さんは「自由な宝島」台湾で開放的な民主社会を経験し、台湾は「一息つける」場所だとその自由な空気を評している。
その後彼女は、2012年の9月から2013年の5月まで、香港「日光時務」誌の記者となり、同僚記者と協力して「烏坎村事件」や村民と警察との激しい衝突の様子を報道した。そして2012年には香港の人権報道賞を受賞した。
昨年7月、趙さんの夫と反体制派の記者である莫之氏は、危険と知りつつ遼寧省の瀋陽病院を訪問し、ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏の元を訪れた。その際、彼らは中国の公安警察に見つかり拘束されてしまうのだが、そんな2人の事情を中国を旅行中だった知人の台湾人教授が聞きつけた。そして教授は彼らのために台湾滞在ビザを取得し、しばらく身をかわすよう夫婦に勧めた。
趙さんは「これは台湾がくれた、私の運命を変える最初のプレゼントでした」と当時を振り返る。
趙さんは最新の著書「彼女たちの長い旅路」を台湾で出版したが、同書は中国で発売が禁止された。しかし台湾には「自由な紙面」があり異なる意見を発表できる。
「もし私が台湾にいなかったら、私の身の安全は危険にさらされ、中国からの出国に制限が掛けられたでしょう。台湾は私に安全地帯を提供してくれたのです」
2018年初頭、趙さんは台湾の学者らの助けを得て、ジョージタウン大学への留学を果たすことになった。しかし彼女のビザは4月で期限を迎えてしまうため、このままでは中国に戻されてしまう上、再出国を制限される。
この時、彼女は再び台湾人教授らの力を借り、台湾の交換留学生ビザを取得することに成功した。これによって、一度台湾へ戻れば、彼女は再び米国での学業を続けられるようになった。
趙さんは「アメリカ留学が終了した後には私は中国に帰らざるを得ません。中国に帰れば想定外の事態に遭う可能性が高いでしょう」と語る。しかし、彼女は中国では多くの若者が自分よりも辛い環境に置かれていると指摘する。
「私はとても幸運です。今のところ私には安全と研究の自由があるのですから。そしてこの幸運は多くの人々によって支えられています。私の幸運に台湾の存在は不可欠でした」
最後に趙さんはこう心の内を語った。
「私の幸運は多くの言葉を尽くしても言い表せないほどです。ですが、今この瞬間も中国では雷鳴と稲妻が交錯しています。そして私達は縛られ、断ち切られて、困っているのです。一方で、自由な世界から与えられたわずかな助けと善意、それらが私の運命を変えました。私以外の多くの人々がこのような善意を得て幸せな人生を送ることを望みます」
(翻訳・項 内秀)