中国絵画史には、後から創始者の作品を超越できない特徴があります。中国伝統文化は神伝文化とも呼ばれ、その文化を人類に伝える使命に選ばれた人は、最初に最高作を創り上げるわけです。
例えば書道、王羲之が新しい書体を創り出した東晋期が書道史上最も栄える時期になりました。中国伝統山水画も同じく北宋期で、范寛(ハン・カン)の『谿山行旅図』、郭煕(カク・キ)の『早春図』、李唐(リ・トウ)の『万壑松風図』は、中國絵画史の頂点に達し、最高技巧を極めました。長年の中国山水画芸術史において、その三つの作品が多くの芸術家に愛され、模作者も続々と現れましたが、とうとう超えられる画家がいませんでした。後世の画家にとっては越えられない「登龍門」的な存在でした。それでは中国山水絵史の伝説、その三つの作品を紹介します。
范寛は、耀州華原県(現在の中国陝西省銅川市耀州区)出身で、字は中立です。范寛は豪快不屈な性格で、世の中の功名などに縛られず、ひたすら山林を楽しみます。まさに水画大作の創出にもってこいの性格です。范寛独自の絵画技法「雨点皺法(雨粒のように小さな墨点を打って表現する)」は、「遠望するも坐外を離れず(座って絵を見ても遠望するような奥深さがある)」「峰巒が渾厚で勢壮雄強なり(山峰がどっしりと凄まじい勢いをだす)」を特徴とし、北方の山水画の基礎を築き上げました。その風格は後世に大きな影響を与えました。
『谿山行旅図』の前に立つと、「高山仰止(こうざんぎょうし)」の意味を身に染みるようにわかるでしょう。南派画(中国・江南地方の特徴にある平坦な地形と温暖気候の風土に生まれた山水画)を推奨する明王朝期の画家・董其昌(とうきしょう)が「宋王朝一番の絵画」と称賛した『谿山行旅図』には、画面から飛び出る様な断崖絶壁が画面の大半を占めています。このような雄大な自然景観を目の前にして、観者は仰ぐしかなく、人間の凡庸さを感じます。画面の右下にある麓の小道には、ゆっくりと進んでいる隊商の列から、薄らと聞こえてくる馬の鈴の音が、谷川の流れとハーモニーを奏で、「動と静の融合」が絵画の真意を表します。巍峨(ぎが)に聳え立つ山、際立つ巨大な石、繁茂した木立が合わせて描かれる自然の風景と、小道で並ぶ隊商の列という人間味溢れる風景が、一枚の画面の中で見事に調和されてています。
『宣和画譜』の記載によると、郭熙は河陽温県(現在の中国河南省焦作市温県)出身で、字は淳夫です。宮廷画家が所属する「御画院」に就き、山水画に長じ、生きる時代においてはすでに有名人になったそうです。郭熙は生涯、真宗、仁宗、英宗、神宗と哲宗の五代の王朝を生き、中で最も輝いていた時期は、神宗朝の熙寧年間でした。同じく『宣和画譜』の記載によると、当時の郭熙は、年をとっているにもかかわらず、その筆遣いがとても熟練され力強く、まるで画筆が画家と共に成長してきたようです。郭熙の山水画は、宮廷内外でも人気を博しました。
『早春図』は、神宗朝熙寧五年(紀元1072年)、晩年の郭熙が描いた絹本着色の絵画です。この作品では、郭熙はほとんどの物体を中軸線に置き、パノラマ式構図の上、自ら得意とする遠近法「三遠①」を駆使し、各景色の細部まで調和がとれています。早春にある華北高山の雄大さが、気魄に満ちているのが技法に現れています。春の山林へ「行く、眺める、遊ぶ、居る」のように生き生きとした気持ちを、紙上で描写しています。郭熙によると、山水画の創作にあたり、はっきりとした四季の特徴を把握するのがポイントです。いわゆる「春山澹冶(たんや)にして笑うが如し、夏山蒼翠(そうすい)にして滴が如し、秋山明浄(めいじょう)にして妝うが如し、冬山惨澹にして睡るが如し②(春の山は微笑んでいるように端麗であり、夏の山は水も滴るように青緑色を表す。秋の山はお化粧をしているように澄み切り、冬の山は眠っているように静まり返る)」(『林泉高致』より)とのことです。『早春図』は、端麗とした環境と「微笑む」ような動きを感じさせ、静謐でありながら生き生きとした雰囲気を醸し出しています。
李唐(約1065-約1150)は、河陽三城(現在の中国河南省孟州市)出身で、字は晞古です。当初生業として絵を描いていた李唐は、北宋徽宗朝政和年間、画院の殿試に参列し、「お題に即し、画の品も佳し」の評価を得られ、画院に召されました。靖康の変で北方に拉致され、命の危険に晒されながら南方の臨安(現在の中国浙江省杭州市)まで逃亡し、再び描いた絵を売る生活を送りました。その後李唐は、南宋高宗朝紹興年間、「成忠郎」と褒賞され、金の帯を頂き、再び画院に召され、高い名誉の「画院待詔」に就きました。以来、南宋画院のカリスマ的な存在になりました。
『万壑松風図』最左の山に、「皇宋宣和甲辰(紀元1124年)春河陽李唐筆」の落款があったため、60歳の李唐が北宋末期、南方に赴く前の作品だと考証され、「北宋と南宋の絵画の分水嶺」として学術界で周知されています。この大作には、山間で奔流する泉、山腰に流れる雲海、動と静の融合が窺えます。山頂に松の茂みや、山間では余白遣いで表現している雲など、高山の群れによる圧迫感、画面のレイヤ感と見事に調和がとれています。北派山水画の代表作ともいわれます。
この三つの山水画作は、いずれも典型的な宋王朝期の山水画の最高傑作であり、今になっても超越されることがありません。
注:
①中国山水画における3つの基本的な視点のこと。下から高い山を見上げる「高遠」(仰角視)、近山から遠山を眺望する「平遠」(水平視)、山の前側から山の背後までをのぞむ「深遠」(俯瞰視)をいう。
②中国語原文:
春山澹冶而如笑,夏山蒼翠而如滴,秋山明淨而如妝,冬山慘淡而如睡。
(文・戴東尼/翻訳・常夏)
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