古代中国では、古人にとって、天は誓いの証人であり、誓いを守れば、福報を得、誓いを破れば、悪報を得ると信じられていた。
誓いを破ることで矢は貫く
『隋唐演義』には秦瓊と従弟の羅成がお互いの家伝の秘技「羅家槍」と「秦家锏」を教え合い、お互いに隠し事をしないことを誓ったという話がある。
羅成は何かを隠したら必ず乱矢で身を貫くと誓った。秦瓊は何かを隠したら必ず血を吐いて死ぬと誓った。羅成は秘技を教える時、従兄が将来自分に勝つことを恐れ、奥の手「回馬槍」を隠した。秦瓊が「秦家锏」を教えるときも、従弟が将来自分に勝つことを恐れて、絶技の「撒手锏」を隠していた。
その後、羅成は蘇定方との戦闘で窮地に陥り、乱射された矢で殺された。秦瓊は晩年、元帥の封印を巡って尉遅恭と戦い、鼎を持ち上げる間に吐血で死んだ。
誓いは天に在りて両眼失明
歴史上の「靖康の変」の時、宋欽宗・趙桓と妃嬪、官吏などの数万人が金兵に捕らえられて北上した。捕虜になった宋欽宗は金と、顕仁皇后を釈放すると和議を結んだ。皇后が去る前に、欽宗は「私が南帰することができれば、太乙宮にしてくれるだけで満足だ。ほかに贅沢な望みはない」と皇后の手を取って涙を流して懇願した。
顕仁皇后は「私が帰ったら、なんとかして迎えに来なければ目が見えなくなるでしょう!」と言った。顕仁皇后が帰った後、宋高宗にこのことを話したが、高宗が欽宗を帰還させる意思がなかったので、話はそのまま終わった。
やがて顕仁皇后は両目を失明し、あちこちに治療を求めても治らなかった。一人の道士が金の針を彼女の目の上で動かすと左の目が回復した。皇后はとても喜んで、道士に右目も治してもらうと、道士は:「これからは片目で物を見て、片目で誓いを果たしましょう」と言った。
誓いを破って犂鋤の厄
『封神演義』では殷郊と殷洪の二人の皇子が師の命令に従い、周の武王を助けて殷を討伐するために山から下りることになった。
下山する前、殷洪は師の赤精子に誓った「弟子に他意があれば、四肢が灰となり飛び散る」。殷郊も師の広成子に「弟子は前言を変えたら、犂鋤の厄を受ける。」と誓約した。
広成子は自分のすべての宝物を殷郊に与えた。下山した後、殷郊と殷洪は周を裏切って、殷を守って周を討伐した。適当に承諾しことが本当になるとは思わなかった。
殷洪は老子の太極図の中に、本当に四肢が灰となって消えてしまった。殷郊も大仙人達により岐山の中にて犂鋤の厄を受けた。どちらも自分の誓ったとおりになった。
『名賢集』には、「人のささやきは天の雷のように聞く」とある。天には人の心の声が聞こえ、一度誓いを立てれば、それは記録される。誓いの言葉は実践すべきで、発願は必ず報われ、誓いを破れば、天が昭然と報ずる。
(翻譯・心靜)