2020年米国大統領選の直前、民主党候補のジョー・バイデン氏の息子ハンター氏のコンピュータのハードディスク事件で、バイデン一家が中国共産党や他の国などからの賄賂を受け取ったことが明らかになった。
バイデン氏と習近平氏との密接な関係
2013年12月上旬、当時副大統領だったバイデン氏は中国、日本、韓国を訪問した。同年11月には中国共産党が東シナ海に防空識別圏を一方的に決めたことで、日本で抗議の声が上がっていた。
バイデン氏が12月2日に訪日、日本の安倍晋三首相はバイデン氏を夕食会に誘い、3日夜には二国間会談を行い、その後、両者は共同記者会見を行っていた。 安倍氏は、中国の防空識別圏への対応について、「中国が武力を使って一方的に現状を変えようとしていることは譲れない」との「合意」に達したことを明らかにした。
12月4日、バイデン氏は中国を訪問し、当時の中国共産党総書記だった習近平氏と会談した。 日本は米国が中国に東シナ海防衛識別圏の廃止を要請することを期待していたが、バイデン氏は中国にそのような要請をしなかった。
親中派の文匯報は当時、日本のメディアを引用して、バイデン氏が安倍氏と会談した際、「中国(共産党)は防空識別圏を撤回しなければならない」という日本の主張を拒否し、最終的には「中国の防空識別圏は黙認できない」という曖昧な表現で合意したと報じている。
日本メディアによると、バイデン氏は米国が日本を拒否した理由を安倍氏に伝えなかったことが、12月3日午前に野党民主党代表の海江田万里氏と会談した際、「習近平国家主席はキャリアが始まって大変な時期にあるので、彼に迷惑をかけるわけにはいかない 」と話したことによって分かる。
文匯報は「安倍総理自身がその場にいたとしたら、気絶していただろう。米国の民主党政権は『日米同盟』を煽っていたが、その実北京思いだ」とコメントした。
バイデン氏は中国共産党の三代指導者と接触
ジョー・バイデン氏(77歳)はペンシルベニア州スクラントン生まれで、1972年に29歳で国会参議院議員に初当選し、米国史上最年少の上院議員の一人となった。
1979年、デラウェア州の上院議員を務めていたバイデンは、初めて中国を訪れ、当時中国共産党最強の権力者であった鄧小平と会談した。
バイデン氏は政界に踏み入った当初、中国共産党には強硬な態度を示した。1991年、ブッシュ大統領が中国の最恵国の地位の延長を図るため参議院が議論した際、当時上院議員だったバイデン氏は「中国共産党が武力拡張問題で悪党のような行動を続けるならば、はっきりと我々の意思を示さなければならない、……つまり、中国共産党への最恵国待遇の付与を拒否することだ」と異議を唱えた。
バイデン氏は2001年8月に北戴河で中国共産党の江沢民元指導者と会談した後、中国共産党に厳しい態度をとっていたバイデン氏が立場を逆転させた。 2001年に中国共産党が世界貿易機関(WTO)に加盟した際、当時上院外務委員長だったバイデン氏は反対しなかった。
2007年までにバイデン氏が上院外務委員長に再選された際に、彼の息子のハンター・バイデン氏の国際ビジネス界への進出が始まった。2008年、オバマ大統領が副大統領候補にバイデン氏を選んだ後、ハンター氏は後に国務長官に就任したジョン・ケリー氏の連れ子であるクリストファー・ハインツ氏と「セネカ・グローバル・アドバイザー(Seneca Global Advisors)」を設立した。
2010年4月、台湾の実業家であり、アメリカと中国の有力財界人の間を飛び回っているアメリカ立法リーダーシップ基金会のアジア・中国部長(当時)のマイケル・リン氏は、ローズモント・セネカの取締役代表ハンター氏を中国の金融機関に紹介した。その目的は「相互理解を深め、ビジネス連携の可能性を探ることである」と述べた。その数日後、バイデン副大統領(当時)はワシントン核安全保障サミットで訪中の中国共産党の胡錦濤国家主席と会談した。
バイデン氏は2011年8月17日、再び中国を訪問した。 中国の胡錦濤国家主席と習近平副主席はともに北京の人民大会堂でバイデン氏と会談した。 バイデン氏は今回の訪問でも、中国共産党の軍備拡散や人権問題での実績の悪さを直接批判することは控え、米中関係の緊密化を訴えた。
2012年2月、バイデンは習近平の訪米にほぼ同行し、息子ハンター氏のコンサルティング会社であるセネカ・グローバル・アドバイザーズは、ロサンゼルスでの米中最大のベンチャー企業の署名を仲介し、12億5000万ドル、4200万ドルの資本金で、中国の代表者が署名することになった。
ニューヨーク・タイムズによると、2011年初頭からの18ヶ月間に、バイデン氏と習近平氏は米中間で少なくとも8回の会談を行い、25時間以上のプライベートな食事を共にしたという。
2013年12月、バイデン氏は中国の李源潮元副主席の招待を受けて、特別便で再び北京を訪れ、当時息子のハンター氏も同行していた。
2014年までにバイデン氏は、「中国(共産党)に経済的に成功してほしい、なぜならは我々の利益になるからだ 」と明言した。 23年前の彼とはもはやかけ離れている。
今年に入ってから、中国のウイルス、南シナ海、東シナ海、台湾海での共産党の軍事活動の活発化、共産党による「香港版国家安全保障法」の押し付けなどで、米中関係は国交樹立以来の最底点にまで悪化している。 大統領選挙中、バイデン氏が当選した場合、まず中国への関税を撤廃すると宣言した。
だからこそトランプ氏は選挙運動中に 「バイデン氏が勝てば中国(共産党)が勝つ 。バイデン氏は社会主義者の操り人形だ」と繰り返し強調した。
(文・「希望の声」岳文驍/翻訳・北条 )