ある有名な禅師は臨終を迎えようとしていた。弟子たちは禅師の周りに座り、師父から人生と宇宙の謎に関する解説を待っていた。

 禅師は無言のまま目を閉じていたが、「どうしたら雑草を取り除けるのか」と突然に弟子に尋ねた。弟子たちは呆然とした。禅師の質問があまりに簡単だったからだ。

 一つ目の弟子は、「シャベルで雑草を刈り取る」と言った。禅師は微笑んで聞いて頷いた。

 二つ目の弟子は、「雑草を燃やせば取り除ける」と言ったが、禅師は依然として微笑んでいた。

 三つ目の弟子は、「石灰を雑草に振り掛ることで取り除ける」と言った。禅師は依然として笑顔のままだ。

 四つ目の弟子は、「彼らの方法はいずれも雑草の根を取り除けないからだめだ。雑草を取り除きたいなら、必ず根絶させ、根を掘り出さなければならない」と言った。

 弟子たちの話を聞き終わった後、禅師は「あなたたちの方法はどれもすばらしい。明日から、この草地をいくつに分け、各自の方法で雑草を取り除き、来年の今頃再びこの場所で会いましょう」と言った。

 翌年、弟子たちは約束通り雑草を取り除こうとした。しかし彼らがあらゆる手段を尽くしても雑草を取り除くことはできなかった。弟子たちは諦め、ただ禅師の答えを待った。

 禅師自身の草地からは生い茂った雑草が姿を消し、金色の作物に取って代わられていた。「雑草が生えた荒地に作物を植えることこそ、雑草を取り除く一番良い方法だ」と弟子たちは刹那に悟った。

 彼らは作物を囲んで座った。作物はすでに熟しているが、禅師は亡くなった。これは、禅師が彼らのためにした最後の授業であり、弟子たちは感激のあまり涙ぐんだ。荒地の雑草を取り除く方法はただの一つ、作物を植えることである。魂を荒れ果たせない方法も同様で、それは道徳を修めることである。

(翻訳・清水小桐)